楽に 自由に 好きなように*ピアノ生活

目指せ!アダルトチルドレン克服 ”楽”になるための心の研究&ピアノ生活記録 

嫌いになってもいいんだよ

今日もなんだか眠くて眠くてしかたないです。

 

最近は、ちょっとした事件があったり

旦那が仕事を変えるかもだったり。

 

現実的な変化も少しづつ出てきました。

 

それが今後どうなっていくのかは分からないけれど、

 

色々と変わってきているなと感じます。

 

そして、もちろん

どのような変化にも、”不安”や”ドキドキ”や”怖い”という気持ちは付き物。

 

私、以前書いた

"楽しい"や、"嬉しい"等のポジティブな気持ちに対する不安恐怖はなくなってきたなと思います。

 

”楽しい”や”嬉しい”の後に起こるかもしれない嫌な出来事を

考えて、勝手に不安になって、

その時の”楽しい”や”嬉しい”の気持ちに集中できない!

心から楽しめない!というやつ。

 

前の記事↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

  

だけど、

【変化を心から楽しむ】という地点にはまだ来ていないみたい。

 

というより私の場合、

 

その変化によって、これからどうなってしまうのかが分からなくて"怖い"、

だから変化起こさないで〜

今のまま、何も変わらないで〜

 

と思っているわけではなくて、

 

"怖い"って気持ちになりたくない!

"不安"になりたくない!

 

 

怖い””辛い””不安”とかのネガティブな気持ち拒否してる。

 

暗い気持ちになるのは嫌!お断り!来ないで!って感じ。

 

だから、

 

今はまだ"怖い"や"不安"などと感じるような出来事は

何もない。何も起こってない。

 

だけど、

勝手に未来を予測して

 

これから"怖い"って思っちゃうかな?!

"不安"って思っちゃうかな?!

 

と不安になって、怖がってる。

 

ややこしい笑

 

実際に起こる出来事よりも

やってくるかもしれない

ネガティヴな感情が怖いんです。

 

前も書きましたが、

私は本当に年がら年中色んなことが起きるので。

ある意味慣れっこです。

 

だから、もう実際にどんなことでも

起こってしまえばどうってことないんです。

 

やってやろうじゃん?o(`ω´ )o

と戦闘態勢(笑)に

すぐ入れる。

 

 

来るなら何でも来なさい!

でも、私はもう色々経験済みよ!

ある程度のことは、怖いもの無しよ!

 

って感じ。

 

そして、

 

さあさあ今回はどうしましょうかね〜♪

面白くなってきたぞ〜!

 

と、ドキドキする気持ちも含め

なんだかんだ楽しんでます。毎回。どんなことでも。

 

もちろん辛いときは辛いし

嫌なものは嫌。

抜け出したくてもがくけれど、

真っ最中の方が楽なんです。

 

戦い中だから?アドレナリン放出?笑

 

だから

 

実際の変化が起きる前の

 

ネガティヴな気持ちになっちゃうの嫌~!!怖い~(ノД`)・゜・。

 

っていう不安さえ克服できれば

本当にどんなときも

楽しむことができるんじゃないかなあと思います。

 

ネガティブな気持ちも受け入れる。

怖がらない。

なんでもウェルカム♪になれれば。

 

うちの愛犬たちのように。

 

喜怒哀楽をどんなときも

振り切れんばかりに表現して。

楽しいときは目一杯楽しんで

怒るときは目一杯怒って。

 

お腹丸出しで爆睡して

来るもの拒まず。

先を読んだりしない。できない。

いつもその時やってきたことを

全力でするだけ。

 

 

そんな風に生きたいなあ。

 

不安”や”怖さ”、”辛さ”を拒否し続けたら、

なんの変化も来ない。

なんも変わらない。

 

こんなことを考えていたら、

 

"嫌いになるのが怖い"

 

っていうのも

これと一緒かなと

ふと思いました。

 

 

嫌いになるのが怖い。

 

私、子供の頃

ポムポムプリンが大好きでした。

サンリオのキャラクター。

 

ある時、ポムポムプリンのグミを買ってもらったんです。

ポムポムプリンがパッケージのプリン味のグミ。

 

でもね、食べてみたら美味しくなくて。

私の好きな味じゃなかったんです。

 

だから一口だけ食べて、

急いで、残りの全てを妹にあげました。

 

私の大好きなポムポムプリンが

ポムポムプリンのパッケージのグミが

美味しくなかったことが

ショックで。

 

キャラクターとグミの味なんて関係ないんですが。(笑)

 

ポムポムプリン=不味い

になって、

ポムポムプリンのことを嫌いになるのが嫌で、怖かったから。

 

当時の私には一大事。

自分の好きなものが嫌いになるかもって

すごく怖かった。

 

 

それがね、

大人になってもあるなあと。

 

例えば、誰かと付き合っていて

その恋人のことを

私が嫌いになってしまうかもしれないことが怖い。

 

私が、嫌われてフラれるならまだいいんです。

もちろん悲しいけれど。

 

彼に対する私の気持ちが

いつか冷めてしまうかもしれないことがとても怖かった。不安だった。

 

実際には、今までお付き合いしてきた人と

私の気持ちが冷めてしまったからという理由で

お別れしたことはありません。

 

遠い思い出の彼にも

どこかで幸せになっていたらいいなあ

と思えるし、

 

旦那の前に付き合っていた彼にも

ありがとう

ごめんね

という気持ちはありますが

 

今だって、全く"嫌い"にはなってません。

 

だけど、

 

私の気持ちが冷めちゃったらどうしよう

 

という不安が付き合っている最中ずっとありました。

 

普通、逆ですよね。多分。

 

彼の気持ちが離れていったらどうしよう

 

なんじゃないのかな。

 

なんでだろうと考えたことはなかったのだけど

ちょっと考えてみました。

 

今だって、

旦那のことはもちろん好きです。

でも、嫌いなところもあります。

 

私に対してもそうだと思う。

 

旦那に対しては

 

私の気持ちが冷めたらどうしよう

 

という不安は、結婚したからなのか

なくなりました。

 

 

だけど、どこかで 

 

旦那のことを、心から”嫌い”にならないように

 

セーブをかけてる気がする。

 

心に壁を一枚隔てた上で

見て、聞いて、感じてる。

 

そんな気がします。

 

例えばもし、

旦那が不倫をしたとか、何か私への裏切り行為をしたとして。

 

私は、怒ったり泣いたりするのだろうけど、

それって本心かな?

私、心の底から本当に悲しめる?ムカつける?

 

多分、行動派の私は

旦那の対応や、態度を見て、気持ちを聞いて、

 

許すべきと思えばすぐに許すだろうし、

 

これは修復不可能と思えば

さっさと離婚準備を始めると思う。

 

 

でも、それは

私の中の知識としてインプットされている

 【旦那に裏切られた時にすべき行動】

行なうだけ

パフォーマンスしてるだけ

なんじゃないかなあって。

 

ロボットと一緒で

このボタン押したら右手挙げます

みたいな。

 

感情も言葉も

【旦那に裏切られた時はこのような言葉を言うべき。怒るべき。泣くべき。】

とインプットされたロボット。 

そういう演技、演出をしてしまうのでは?と。

 

実際に旦那から裏切られたわけではありません。

 

でも、リアルに旦那に浮気されたことを

想像してみても

多分こうなんじゃないかなって思ってしまう。

 

もちろん、ムカつくし悲しいだろうけど

それって100%私の本心なんだろうかと。

 

実際なってみなきゃ分からないし

こんな事態起こらないのが一番です。

起こってほしくありません。

 

だけど、こうやって

どこか心の壁を一枚隔てているんじゃないかなあって思う。

 

それって、

ここでも

壁を隔てることで、心を自己防衛して

傷付かないように、

壊れないように、

何があっても大丈夫なように

 

心を丸裸にしないで、

守ってるんだと思う。

 

どこか他人目線でいることができれば

心が壊れてしまうまで傷付くこともないから。

 

旦那を失うことよりも

”心が壊れてしまうこと”の方が怖い。

 

そしてやっぱり

私は"嫌い"になることが怖いんだと思う。

 

自分の”大好き””大嫌い”に変わってしまうのが怖いんです。

ポムポムプリンと一緒。

 

相手にどんなに嫌われても

自分が好きでいることは自由ですよね。

 

離れることになってしまっても、

"好き"の気持ちまでは手放さなくてもいい。

 

(ストーカーとかはしませんよ笑)

 

だけど、自分が"嫌い"になってしまったら

もう二度と"好き"には戻れない気がして。

 

自分の"好き"はとてもとても大切なものだから、

手放すのがとっても怖いんです。

 

好きな物を捨てたくない。

守りたい。

 

だから、

こうやって一枚壁を隔てた中から

感情を感じることで

私の"好き"を守っているのかなと思いました。

 

だけど、今はいくら大好きでも

いつか”嫌い”になるかもしれない。

 

そんなの誰にも分からない。

強制も固定もできない。

 

 

自分の”好き”を大事にするのは当たり前で、とても大切なこと。

 

でも、それをずーっと好きでいなければいけないルールなんかないんですよね。

 

”好き”も”嫌い”も守るものではなくて

感じるものなのかもしれない。

 

いつか嫌いになってしまうのなら、それはそれで仕方ない。

もう諦めて、受け入れて、怖がらないで。

未来を勝手に予測しないで。

 

”今”の好きな気持ちを目いっぱい感じるしかない。

もし今後出てきてしまったのなら、”嫌い”っていう気持ちも拒否しない。

受け入れるしかない。

 

それが自分の本当の気持ちなのだから。

 

 ”今”の気持ちだけを丸裸で感じてさえいればそれでいい。

 

ていうかそうじゃないと、

心から人と繋がることなんかできない。

 

今の私の旦那との、いや私と繋がっている全ての人との付き合い方

って今のままじゃ失礼だ。

 

心からちゃんと向き合っていないんだもん。

 

 

そして、何度か書いていますが

ACの自分を癒やしていくワーク。

 

嫌な思い出を鮮明に思い出して、

その時の自分の本当の気持ちを知り

そこから今の自分の生きやすさに繋げていくというもの。

 

詳しくはこちら↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

 

このワークでも気になっていたことがありました。

 

浮かんでくる光景は、

 

多分私は、3~5歳頃。

父が、お気に入りのドラマが録画できていなかったとかで、

母にキレて、暴力をふるっているところ。

母は土下座して謝っているところ。

 

あ~思い出すと気持ち悪い。*1

 

そのとき、私は部屋のドアの影から

その光景をじーっと見てるんです。

唇噛んで、泣くの堪えて。

 

その時の私の気持ちを辿っていくと

『怖い』とか『辞めて』とか色々出てきます。もちろん。

 

でも、なんでじっと見てたんだろうなって。

怖いなら別な部屋に逃げて、

耳を塞いでたっていいじゃない。

泣いてもいいじゃない。

 

なんで泣くの堪えて我慢してるんだろうと。

 

だけど、辿っていって

最後に出てきた私の本当の気持ちは

 

【お父さんとお母さんを好きでいたいから】

でした。

 

今でもちょっと謎のままなんですが。

 

好きでいたいってことは嫌いになりたくないってこと。

 

当時の私は

逃げたり、泣いたりして

自分の感情を出してしまうことで

【こんなことをする私の親が嫌い】っていう自分の気持ちに気付くのが怖かったのかな。

 

 

黙って見ている、泣かないという行動を取ることで

 

こんなの大したことじゃない

泣くようなことでも、逃げるようなことでもない

私は余裕

何も変わらない

と思い込みたかったのかな。

 

 

もう 昔の私も、今の私も

【嫌い】って気持ちも受け入れよう。

 

嫌いになってもいいんだよ。

嫌いがなければ好きもないんだよ。きっと。

一度”嫌い”になってもまた”好き”に戻れるかもしれないし。

 

 一番のお気に入りが変わったっていい。

好きな物にも捕らわれる必要はないんだ。

全部自由。

 

感じることを怖がらないで。

 

むしろ、何よりも自分の気持ちに正直でいなきゃいけない。

ルールがあるとすれば、それだけ。

 

これに気付けたのは大きいかも。

 

 

 


引き寄せの法則ランキング

*1:+_+