楽に 自由に 好きなように*ピアノ生活

目指せ!アダルトチルドレン克服 ”楽”になるための心の研究&ピアノ生活記録 

アホになろう

どんよりと空が暗くなるとなんだか気持ちも暗くなります。

 

去年の夏は雨が多くて

海もキャンプもバーベキューも全部雨でした( ゚д゚)(笑)

 

今年はどうかなー。

 

もう8月に入って、

今年の夏はまだなーんにもしてないなあと

どうしても焦りや不満が出てきてしまうけど。

 

1人静かに涼しい部屋で

テレビ見るのも、ブログ書くのも好きなので

もう今好きなことしてるならいいじゃないと思いたい。

 

でも、なかなか焦りが消えません。

 

夏が過ぎても、秋も冬も春も楽しめる。

また来年も夏が来る。

 

ずーっとずっと本当は楽しいことだらけ。

 

それでも、そんなに夏らしいことがしたいなら

来年は、思い出たくさんの

思い残しがない夏にできたらいいね。

 

自分のことなのになんだか他人行儀な書き方ですが、

 

昨日ちょっとムカつくことがあって

イライラしているとき、

 

 

『本当ムカつくねー、ちゃんと理解してんのか?頭悪いの?て感じだねー

私はちゃんとやってんのにね。

質問くらいちゃんと答えろよってねー。

それが仕事じゃないの?

本当ムカつくねー。』

 

と他人行儀に自分の気持ちを聞いていたら

イライラがスーッと落ち着いたので、

 

第三者的に自分の気持ちを聞くことにハマってます。

声に出してたら、完全に危ない人だけど。(笑)

頭の中でやってるだけなので

きっと大丈夫。

 

以前も書きましたが、

なんで私はそんなに

"憧れ"や"理想"を追いかけて、人と比べて

焦って不満になるんだろう。

 

私の”憧れ”や”理想”って

固定概念になっていて、頭がかたすぎる。

 

夏の過ごし方はこうすべき

アクティブに色んな所に行くべき

思い出をたくさん作るべき

旅行好きであるべき

 

私の知識の中での

"こうすべき""こうあるべき"

 

20数年生きてきた中で作り上げられた

私の固定概念。

 

確かにさ、旅行は好きだし

色んな所行きたいけど

私は色々やってみたがりだけど。

 

それって本当の本当かな?

 

そうすべきだからそうしたいと思ってるなら

そんなのただの思い込み。

 

別にそうしなくてもいいんだよ。

 

それが正しいわけじゃない。

 

私の憧れは

ドラマや小説や雑誌に出てくるような

”キレイに形が出来上がっているもの”

に対して湧くことが多い気がします。

 

家族ドラマを見て、

こんな感じの家族になりたい♪

こんな家でこんな暮らししたーい♪

ってなって、

 

キレイなオフィスで、オシャレして

毎日バリバリ働くドラマの中の主人公に素敵♪

と思う。

 

憧れだけならいいんだけど、

それが段々、こうじゃなきゃダメ!

これが普通の形なんだ!

となる。

 

んなわけないのに(笑)

 

 

もし私がドラマのようなキレイなオフィスで毎日バリバリ、やりがい感じて働いていたら

 

仕事に追われ、何にもできない夏でも

それはそれで大満足で

こんな自分かっこいいー!!と思えるはず。

 

単純なんです。(笑)

 

でも、毎日決まった時間に会社に行って

毎日ヘトヘトで帰ってきて。

実際そうしていた時もあったけど、

それはそれで嫌。

ぐうたらの私にはとってもストレス。

 

だから、

ほとんど専業主婦で、

自分の家で好きなように仕事して、

週に1回くらいピアノを教えてる。

 

こんな今の現状は、好きなことが仕事にもなっていて、最高じゃないですか。

毎日ヘトヘトだった私が望んだ現実なんじゃないんでしょうか?

 

なのに、叶ったら叶ったで

 

やっぱり在宅ワークは、気持ちが締まらない〜とか

もっとやりがい感じたいーとか

毎日オシャレしたいーとか

それなりに稼げてはいるのに

次から次へと色んなことがやってきて

全然お金が足りないー

もう疲れたー

とか。

 

何がどうなったって

どこでだって

不満は出る。

 

無い物ねだり。

 

欲しかったプレゼントをもらっても

その時は嬉しいけど

次から次へと欲しい物が出てくるから

いつも満足できない。

 

例えば、

 

念願のプロポーズ!!(´;ω;`)

もう何にもいらないくらい幸せ(´;ω;`)

願いが叶った…!!

 

だったはずが、

 

でも、プロポーズにはお決まりの婚約指輪がまだないぞ?

 

となって、

 

プロポーズからは遅れたけど、婚約指輪ゲット♪一生の宝物(´;ω;`) 嬉しすぎる!!

 

だったのが、

 

結婚指輪は?式は?ドレスは?新婚旅行は?

もちろんあるよね??

 

となり、

 

結婚式、私、生まれてきて1番幸せな日になった〜〜(´;ω;`)

 

だったのが、

A子はマンション買ったらしいよ?

B子は家建てたらしいよ?

毎年、海外旅行行くんだってよ?

子供早く欲しいよー(´;ω;`)

 

みたいな。(笑)

 

プロポーズされて

もう何にもいらないと思うくらい幸せだった気持ちはどこにいったんでしょうか。

 

それじゃあね、いつまでたっても

何がどう変わっても

何が叶っても

手放しで幸せ〜♪

にはならないはず。

 

凝り固まった固定概念の

型にはまった、こうであるべき"普通"を求めて、

 

仮に全部手に入れたとして

私は一体どうしたいの?

何になりたいの?

 

"普通"を求めて"普通"になれたとして

そこに残るものは何かあるの?

 

てかそもそも"普通"って何だ?

"一般"って何?

 

楽になることを意識し始めてから

確かに心の動きには敏感になり、

"自分の思考が現実を作る"

ということがいつも頭の中にあるようにはなりました。

 

だけど、今度は

 

アダルトチルドレン克服したいから、

もっと自分の気持ちに従いたいのに

やっぱり自分の気持ちより相手の気持ちばっかり考えちゃうよー

 

とか

ワガママになりきれないよー

 

とか変な方向の悩みが出てくる。(笑)

 

だけど、そもそもそこって

私の良い所なんじゃないの?

 

優しさまで捨てたいの?

 

相手を喜ばせてあげられる素敵なところも捨てたいの?

 

人を癒したいんじゃなかったの?

 

いつも傍若無人に振る舞いたいの?

 

自己中でいたいの?

 

そうなれたら楽になれるの?

 

 

こんなのゴールの無いマラソンを走り続けてるのと一緒。

 

どうなったって悩みが消えることはないし、楽にもなれない。

 

だから、

心の分析や研究は辞めないけれど

 

も〜、

アホになりたいと思う。

 

いちいちアレコレ考えないで

 

テレビが見たくなったら見ればいいし

ピアノが弾きたくなったら弾けばいいし

ブログ書きたくなったら書けばいいし

仕事に集中したければすればいい

 

もっと"感覚"で動きたい。

 

好きな事なのに飽きちゃうってことは

本当は好きじゃないんだろうか?

 

とか

 

この曲の完成度が~とか

 

頭で考えないで、

やりたい時にやりたいだけ

好きなように

自分が満足するまでやれればいい。

 

今はこれの気分〜♪

飽きたから次はこれ〜♪

 

と気分だけで。

アホみたいに。

 

仕事とか家事とか

やりたくない気分だけど

やらなきゃ…

 

ってものは、

 

やりたくない気分なのにうんぬんと考えて

結局嫌な気分になるくらいだったら

 

やった方がいいと私は思う。

 

やろうかなーという気分になるまで待つ

休み休みするのはありで。

 

やりたくないことも終わればすっきり!

いい気分♪

 

になれるものなのなら

それだって"いい気分"には変わりはない。

 

終わった後に

『よくやったぜ、私〜!』

とアホになればいい。

 

嫌だけど、

家賃も税金も洗い物も

そう簡単には消えてくれないし。(笑)

 

心の勉強始めてから、

 

『頑張る』

ことが悪というか。

 

”頑張ってね”という言葉を使うのに

異常に躊躇してしまったり、

”今日も頑張ろう〜”という自分の前向きな気持ちにも戸惑ってしまったり。

 

確かに、

私が求める、楽〜な世界は

なんでも楽しむことができて、

我慢して、力んで、歯を食いしばって頑張ることが正しいという常識は違うのかもしれない。

 

だけど、

本来『頑張り屋』っていいことだし。

 

頑張ってる自分が好きで

気持ち良くいられるのなら

それでいい。

 

こだわり過ぎて、本来のいい所を悪者扱いするのは

自分が可哀想。

 

なんでも自分らしく。

 

バイブルに沿おうと思わないで

自分がいい気分でいられることだけを

アホになって選択していこう。

 

自分の気持ちを我慢して

相手に合わせてしまうなら。

 

某ドラマのセリフですが(笑)

 

『それでも優しい方がいいよ。』

 

優しさを持てる自分を尊く思おう。

だって、私は優しさ溢れる世界のほうがいいから。

 

優しくしたいし、されたいから。

 

それって気持ちがいいことだから。

 

雨が土砂降り。

書き始めの気分と打って変わって

なんだか清々しい。

 


引き寄せの法則ランキング

続けることって難しいのよ

最近、ブログを書くと

自分で書いたことを、私自身がしっかりと納得することができるみたいで

書いたことと同じことでイライラしたり、辛くなることが少なくなっています。

 

もともと、文章を書くことは好きで、

めちゃくちゃ文系だったんですが

(理系は全くダメ(°_°))

やっぱり楽しいです。

 

自分が、気付いたことや考えたこと、体験を”記録”としてつけているつもりなのに

自分の頭の中を文章として

書き出してみると、

またまた、違う気付きがある。

 

自分の心の中を分析していくと

こーゆーことかとハッとすることがある。

 

自分のための記録であっても、

気持ちをアウトプットしてみると

またまた違う視点から自分を見れたりするんですね。

 

そして、そんなブログを続けることと

少し似てるかなーと思うこと。

 

 

私は、人との関係性を築くこと、

関係を持続させ、大切にすることが

すごく苦手です。

 

以前も書いた地元のピアノの先生もそう。

15年以上ずーっとお世話になった先生。

厳しいところもあったけど、大好きで尊敬してたのに。

 

私が音大辞めちゃったから

そんな自分が恥ずかしくなって、嫌になって

そんな自分を見られるくらいなら…と

私の方から勝手に連絡を絶ってしまった。

 

友達も、

幼なじみは私のことをよく分かってくれているから、そんなことはないのだけど

 

中高で親友や、友達を作れなかった私は

友達の大切さがいまいち分かりません。

 

友達なんかいらないと思っているわけではなく、

友達と遊びに行けるっていいなーって憧れたり、

同窓会を楽しむ人を羨ましいとは思う。

 

 

だけど、社会人になったって

社会に出ていれば友達はできますよね。

私でもできました。

 

水商売時代に仲良くなった子や、

一般職での同期や先輩。

 

皆、職場内だけでの仲間ではなくて

プライベートでもいっぱい一緒に遊んだし、一緒に笑って、一緒に楽しんだ。

 

なのに、心のどこかで

"私なんかと一緒にいてもつまらないよね"

という気持ちがあって。

 

 

恋人や夫婦関係は"独り占め"ができます。

その中での関係性においては。

だって自分の他に恋人や、嫁がいたら困るもの。

 

まあ、その中でも

お互いの知らない友達関係はあって当然なのですが。

 

でも、”友達”っていう関係って

そういう面ではすごくあやふや。

 

私とA子が友達でも

A子には私の知らない友達がいるのも当たり前。

A子にはA子の家族がいて

私とは関係ないところで

生活を送っているのも当たり前。

 

当然だけど、独り占めすることはできません。

【私だけのものよ】とはならない。

 

 

私は、人との関係性を築き、大切に続かせていくことは苦手だけれど

別に友達を作るのはそこまで下手じゃないと思います。

 

学生時代はド下手でしたがね。

 

初対面の子とでも、何かの話題で盛り上がることはできるし

水商売をやっていたことも手伝ってか、

結構オールマイティな話題を持てる。

人前ではそこまで世間ズレしていないと思うし、

一般的な常識はあるつもりだし、

聞くのも話すのもそこまで苦手じゃない。

 

なので、誰かと仲良くなることはそこまで難しくありません。

 

そして、誰かと仲良くしている間は

私もとっても楽しいし

友達が少ない私にとって、

誰かと知り合い、仲良くなれるのはとっても嬉しいことです。

 

だけど、

"私といるより別な子といるほうが楽しいでしょ"

とか

ちょっとしたことで

"私、それ聞いてない!私を仲間外れにしないで"

とか。

 

そんな気持ちが出てきてしまう。

 

もちろん、口には出しません。

 

多分、私がその子にとって一番になれないことに

勝手にヤキモチやいてる。

 

そして、どんなに仲良くしていても

喧嘩にまではならなくても、

 

"あー、あそこであんなこと言わなきゃよかった"

ってことって、絶対ある。

 

本当に些細な事で

私のことどう思ってるだろう?

嫌いになっちゃったかな?

とすごく不安になって。

 

あんなこと言っちゃった自分が

とっても恥ずかしくなって。

 

そんな気持ちでいっぱいになり、

最後は

 

どうせ私一人いなくなっても

あの子にとって大したことじゃないよね

 

と、衝動的に勝手に自分から連絡を絶ってしまう。

 

嫌われるくらいなら、こんな気持ちになるくらいなら

私から消えよう。

 

となってしまう。

 

まだ嫌われたかどうかも分からないし

てか多分、別に嫌われてないのに。

 

どうとも思われていないのに。

 

必要以上に他人が自分のことをどう思っているのか

気にし過ぎてしまって、自爆する。

 

そのパターンが何度あったことか。

本当とんでもないやつです。

 

すごく申し訳なく思ってます。

 

こんな私は、

もちろん匿名で

チキンなので(笑)、コメントもオフにしているブログでも

書き続けていくのには結構勇気がいりました。

 

ってまだまだ始めたばかりなんですけどね。笑

 

思い付きでさっさと始めたまでは勇気もなんもいらなかったのですが、

書き終わった後に

何度か自分で読み返していると

なんだか恥ずかしくなって

全部消したい衝動に駆られてしまいます。

 

友達との関係みたいに。

 

でも、せっかくだから続けてみよう。

恥ずかしさに打ち勝って。(笑)

絶対消さない。

 

こんなわけで

たかがブログですが、

”関係を大切に続けていくこと”の練習にもなって

始めてよかったなあと思います。

 

 

自分が誰かの1番でありたいことの執着や、

異常なヤキモチって

アダルトチルドレン関係の文献でもよく言われる

"見捨てられ不安"

ってやつなのかなと思っています。

 

見捨てられてしまうんじゃないか

と些細なことで不安になって、

 

見捨てられないようにすることだけに

がんじがらめになって、

 

最終的に

見捨てられるくらいなら

自分から捨てよう

 

という理解され難い思考パターンになっている。

 

こんな自分を分かっているので

誰かと仲良くしている間は

距離感や、言動にものすごく注意します。

 

あんまりにもベタベタされたらウザいし、

いきなり距離感なく来られたら気持ち悪いですよね。

 

だから、ここでも自分が"普通"であることに

精一杯気を配って

"普通"を演じます。

 

だけど、やっぱり

ヤキモチとか、そういう”普通”ではない気持ちが出てきてしまって

その気持ちに勝てない。

 

 

無条件に私がここにいることを肯定されたり、

私が何にも頑張らなくても

私の存在を認めてくれたり

 

そんな経験が乏しい私はいつも

"頑張らなくては"

"いい子でいなくては"

そうでなければ

見捨てられてしまうという不安の中で生きてきて、

その不安が私の中で

人間関係とはそういうものとインプットされてしまった。

 

そんな気持ちがこんがらがって、

子供の頃に消化したかった欲求

まだ持ったままでいるから

それが形を変えて。

 

私だけを見て

私をあなたの1番にして

ねー、私のことが一番に好きだよね?

 

と重っ苦しい欲求

他人に乗っけてしまっている。

 

甘えるのもイチャイチャも大好き。

ドラマの真似っこの歯の浮くようなセリフも言われれば

ストレートに単純に嬉しくなってしまう私は

やっぱり夫婦間や、今までの恋人間でも

二人っきりの世界が大好きです。

 

もちろん、人一倍ヤキモチもやいてしまいます。

休みの日に友達と飲みに行くとか

えー?!私は?( ;∀;)

って。

 

だけど、うざくならないように

私が思ういい女でいられるように

頑張って(笑)束縛はしません。

 

『いってらっしゃい、楽しんできてね』と笑顔で言える女を目指してる。

 

だけど、私が

心の底から【見捨てられることのない安心した世界】を求めてるので。

そしてそれが恋人や夫婦間では許されることだと

思い込んでるので。

 

やっぱりそういう人がくる。

これぞ引き寄せの法則?(笑)

 

今までの彼は

皆、友達より私を優先し、

私を束縛して

依存し合ってました。

 

同意の元、GPSをつけていたこともあるし

門限があったり。

 

旦那も、付き合い始めてから数えると3年になりますが

毎日手が空けば電話をかけてきて、

あまりに私が出ないと

心配して、仕事抜け出して戻ってきたこともある。

雨が降れば、暑ければ、

『大丈夫か』と連絡が来て、

休みの日、一緒にいない日はないし

旦那が友達と会うんなら

だいたい私も一緒に行くし、

結婚してから、仕事から真っ直ぐ帰ってこなかった日はありません。

 

だから別に、ヤキモチやいても我慢して

笑顔で『いってらっしゃい』と

言える女でいる必要がないんですよね。

 

 

私はそんな世界の中で

特に窮屈さも感じないし、幸せです。

 

『俺がいればいいだろう』という

彼の世界の中で

過保護に安心して

子供のように手をかけられていることに満足している。

 

今、彼のこういうところがなくなったらと考えると寂しいので

 

私はまだ

ぬるま湯のようなこんな世界に浸っていたいんだと思う。

”見捨てられ不安”を感じなくていい世界に。

 

親にされたかったことを

彼を通してしてもらい、

欲求を解消しているところが少なからずあるんだと思う。

 

幸せだからこれでいいし、

私を大事にしてくれる彼に感謝

なのだけど、

 

やっぱりこれは

"依存"であって、

"見捨てられ不安"のある私が作り出している世界なのだと思います。

 

そしてこれが、

前にも書いた"嫌いになるのが怖い"に繋がっていくんだろうと。

 

前の記事↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

私がもっと私自身に自信を持って

ちゃんと自分の足で踏み出せた時、

崩壊しない私の世界を持てた時。

 

その時も

"依存"ではなく、お互いを支え合うパートナーとして

大切にし合えればいいな。

 

私にとって

1番難しいのかなあと思う

人との関係性。

 

変化を恐れずに

私は私のままで

心丸裸に

向き合っていきたいなあ

 

そして

また誰かと出会うことがあるのなら、

”縁を大切に”

そうできる自分になりたい。

 


引き寄せの法則ランキング

そのプライドは本物ですか?

最近は、本当に色々ありすぎて

なんだか、もはや面白い。

 

お気楽だなーと呆れられるくらいで丁度いいんです。多分。

 

トラブルも楽しもうψ(`∇´)ψ

 

 

昨日は食欲が全然無くて、夕食を全く食べられませんでした。

でも、心は元気。

 

だから、多分普通に夏バテです。

 

でも、旦那には

今の色々なトラブルのせいで

食欲が落ちてるんじゃないかと

心配されました。

 

 

『こんなことでね

ご飯食べられなくなってたら

私もう既に10回くらい餓死してる』

 

と私が言ったら

 

『まあな』

 

と言われて2人で笑った。

 

そして、お互いぎゅーっとしながら

 

『絶対大丈夫。どうにかなる』

 

と言ってたら

なんだか楽しくなってきて

ご機嫌のまま眠りました。

 

こんな感じが愛しくて、楽しい。

 

トラブルや悩みができると

そのことばっかり考えてしまうけれど

どうしようもできないことはどうしようもできません。

 

できるのは

たくさん考えて、たくさん悩むこと

だけ。

 

逆に言えば、悩みながらも 

いつも通りの生活を送るしかない。

いつも通りの生活には、"悩み"とは関係ないことがたくさんあって、

 

心が"悩み"でいっぱいになってなかったら

 気付くことができる、"楽しさ"や"ほっとすること"もたくさんある。

 

それは本当はいつでもあって、

気付くときと

気付かないときがあるのは

自分の心の状態次第。

 

そうやって、トラブルや悩みがあると

そのことだけに心を乗っ取られてしまいがちだけど、

そんなときに心を取り戻すのが

うちの旦那は上手です。

 

例えば、休みの日に焼肉を2人で食べに行っても

何かトラブルとか考えなければいけないことがあると

議題はその"トラブルについて"になる。

 

そっちが主で

美味しい焼肉は口に入れるだけの作業になってしまいます。

 

そんなとき

『今はやめよう』

とストップをかけてくれる。

 

そして、

『上手いな、この肉』

とか

『オーストラリアに行きたいな』

 

とか議題とは関係ない、

トンチンカンなことを言って

"今"の時間に戻してくれる。

 

私に気を使って、元気づけようとしてくれてるわけではなくて

彼自身がそうしたいから

"素"でそうしてきます。

 

今まではそんなところが

 

能天気

この人は何も考えてない

 

と感じて、イライラしてました。

 

でも、今は

逆にそんなところにほっとする。

 

何が起きても

私が私であることや

彼が彼であることは変わらない。

 

だから、何が起きても

どんな場所でも

悩むことも苦しむこともできるし、楽しむこともほっとすることもできる。

 

感じる気持ちに優劣はなく、

 

例えば楽しさなら

取り立てて何の悩みも無く、旅行に行って楽しむのも

トラブルの真っ最中に、家でちょっとの時間を楽しむのも

 

その"楽しい"の気持ちは同じ。

 

”楽しい”に差はない。

格もレベルも無いと思う。

 

だから何で楽しんでようが関係なくて、

 

”自分が楽しいと感じている感情”があるのかどうか。

本当にそれだけ。

 

"他人"や"常識"や"一般的"の物差しで

私の"楽しい"を測りたくないし

壊したくない。

 

 

旦那に、私がブログで書いているような

"心"の話をすることは

ありません。

 

興味もないと思う。

 

だけど

自然に心を大切にして、大切にするがあまり弱いところもある彼が

私のパートナーでよかったと最近よく思います。

 

旦那を見て、気付かされることがよくある。

 

そんな昨日、眠るときに考えたことは

私は何にイライラするんだろうと。

 

怒りの気持ちも自分の本心なので

悪いものではない。

 

怒りたいときは怒ればいい。

 

そうなんだけど、

イライラすると疲れるので

できることならあまりイライラしたくない。

 

それも本音です。

 

考えていたら、

 

私は話を聞いてもらえなかったり

受け止めてもらえなかったり

馬鹿にされる

 

ことがすごく嫌。

それで、イライラしてしまうなあと気付きました。

 

でも、それは私が"素の状態"でいられる

旦那や、幼なじみの間でだけ。

 

そうでない人にはあまりそのようには

感じません。

 

この人はこういう人なのね〜

と思うだけで

適当に合わせて

適度な距離で付き合うことができる。

 

そもそも

私の気持ちを受け入れてほしいともあまり思わない。

 

そしてそれは多分お互い様だと思います。

 

実家の家族や父との間では、

まず、できる限り

接触したくないし

コミニュケーション自体を取りたくない。

 

メール1つだけで、ものすごく疲れるし

父からの着信画面を見ただけで

凍りつくし、ため息が出ます。

 

とは言っても、避けて通ることはできないし

仕方なく、しなければいけない範囲でコミニュケーションは取りますが

 "できる限り穏便にさっさと済ませること"

しか考えてないので

私の気持ちがどーのとか

分かってくれないとか

でイライラしたりはしません。

 

後から親の対応や、言われたことを

思い出して、イラついたり

悲しくなったりはありますが。

 

最近は、調子の悪い日に

実家家族のことを思い出して辛くなることはあっても、

イライラすることはなくなってきました。

 

どうでもいいやと諦めたんだと思う。

 

まとまな親であってほしいという願い。

いつかは変わってくれるんじゃないかという希望。

私のそのままを受け入れてほしい、きっといつかは受け入れてくれるはずという期待。 

 

それが親への執着となり、

物理的に離れても

事あるごとにムカついて、苦しんでいました。

 

だけど、気づいたら

 

ま、変わるわけないわな。

もうどうでもいいや。

私にとっては他人と一緒。

親がどうであろうが私には関係ない。

 

と諦めてしまっていて

イライラすることがなくなっていた。

 

なので、今何か変な事を言われても、

 

電車の中で、知らないおじさんが騒いでるのを

見てるのと同じように

変な人がまた騒いでるなあ

とめちゃくちゃ他人行儀に見てます。

 

その時に、なんだか嫌な気分にはなるけれどその時だけで

そこまで感情移入できない。

 

悲しいような気もするけれど

仕方ない。

 

私は楽になりたいので

父にイラついたり、苦しんだり

する暇がないし

そんなん心の無駄使いやと思う。

 

どうでもいい人に分かってもらわなくても構わない。

 

 

ということは、

 

私の気持ちを分かって欲しい

軽く扱わないで欲しい

受け止めて欲しい

 

と思うのは

私が分かってほしい相手だから

私にとって、どうでもよくない人だから

 

だけど、

この

”分かってほしい”という私の願い、

イライラの原因は

 

相手の反応によるということ。

 

私が何かを相手に伝える

ここまでは、私の気持ちなんだけど、

 

それによって

分かってもらえて嬉しくなるのか

受け入れらず悲しくなるのか、イライラするのか

 

気持ちを発信した後の私の感情がどうなるのかは

相手次第になっている。

 

 

それって、昨日の記事で書いたことと同じように

 

昨日の記事↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

 

やっぱり自分の気持ちに"自信"がないんだろうなあと思いました。

 

 

【馬鹿にされるのが嫌】って

一見、プライドが高いように思うけれど。

 

それって本当にプライドなのだろうか。

 

自分の気持ちに"自信"があれば、

それを伝えて

相手にどんな反応をされようが

見下されようが

馬鹿にされようが

 

そんなのどうでもいいんじゃないかな。

 

 

誰に分かってもらえなくても

”私はこう思う”

 

どんな反応されても

”私はこうする”

 

それが私。

そんな私でいい。

 

こんな風に

自分の考えや、気持ちに対する"自信"

こそが本当のプライドなんじゃないのかなあと思いました。

 

 

【私は私でいい】

そう心から思っていられれば

分かってもらえないことでイライラすることもなくなると思う。

 

頑固に、人の意見は取り入れない

自分の意見が1番正しいのではなくて

 

 出てくる気持ちは誰のものであろうが

正解も不正解もない。

 

出てくる気持ちが自分の中では真実というだけ。

 

だから、人に”分かってもらう”ことに執着しなくていいと思うんです。

 

 

分かってもらえるか、もらえないか

肯定されるか、否定されるか

受け入れられるか

拒否されるか

 

そればかりを気にしていると

私の気持ちや考えを測る物差しが

相手の反応になってしまう。

 

 

人の気持ちをまるっきり、100%知る事は不可能だし、

自分でいられるのは自分だけ。

 

こんな風に相手の反応によって

自分の出てきた気持ちに評価を下していたら

自分自身で、自分のことをいい気持ちにさせてあげることはできない。

 

 

自分の気持ちを分かってもらえたら

嬉しいし、

異なる意見の交換も、

お互い尊重し合うことも大事。

 

だけど、

相手の反応がどうであろうが

 

私、いいこと言ったぜ!

伝えてやったぜ!

 

みたいな

自己満で、ドヤ顔かましててもいいのかもしれない笑

 

そうやって私の気持ちを私が信頼して

自信を持てれば

崩壊しない自分の世界を作っていくことができるかも。

 

分かってもらえなくて

イライラして、ムキになるんではなくて

アホになろう。

 

私の気持ちが理解されず

怒られようが、見下されようが、笑われようが

関係ない。

 

自分がそう思うのなら

私の中ではそれが大正解。

 

相手の反応に同調して

悲しくならなくても

恥ずかしくならなくても

おどけなくても

イライラしなくてもいい( `ー´)ノ

 

 

 

 

そして”馬鹿にされるのが嫌”な私は

 

 

私をもっと大切に扱ってー!!

尊重してー!

私の存在無視しないでー!

 

と心で叫んでるんだと思う。

 

無視なんかされてないのに。

1つのことを分かってもらえなくても

私の全てを否定されたわけではないのに。

 

ちょっとしたことで過敏になって。

 

その気持ちの出どころは

幼少期の私。

 

だっこして!

私がいるのを忘れないで

可愛がって

もっと大事にしてよ

褒めてよ!!

 

 

大人になっても

親へは求めてなくなっても

 

解消されてないこんな欲求

形を変えて、誰かに求めてしまってる。

 

だったらまずは

自分で自分を大切に扱ってあげよう。

自分の気持ちを自分がよく分かってあげよう。

 

 

小腹が空いたので、

お客様に出すように

クッキーを綺麗なガラス皿に入れて

氷を入れたアイスティーにストローとコースターを付けて。

 

自分だけのために笑

 

 

 


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"好き"の自信

前の【嫌いになるのが怖い

についてもうちょっと考えてみました。

 

前の記事↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

【自分の"好き"が"嫌い"に変わってしまうかもしれないことが怖い】

 は、言い換えれば

【自分の世界が壊れてしまうかもしれないことが怖い】

ってことかもしれないなあと。

 

 

自分の好きなものや、お気に入りなものって

 

『これ素敵♪いいな♪』

と思って、

自分で"好き"という選択を行い、

自分の"好きなもの枠"に入れたもの。

 

自分が"好き"になる前は、

当たり前だけど、

それは、"好き"でも"嫌い"でもなかった。

何とも思っていなかった。

 

 

昔は、"嫌い"だったけど、"好き"に変わったものでも、

 

『嫌いだったけど、気持ちが変わった!

やっぱり素敵♪』

 

と思って、"好き"を選択し直して

"自分の好きなもの枠"に入れる。

 

私だったら、

『ピアノ弾くの楽しい♪』

と思って、ピアノを"好きなもの枠"に入れた。

 

『トイプードル可愛いー!!』

って思って、

犬を"好きなもの枠"に入れた。

 

最初は、なんでも自分の"好きなもの枠"に入れる事から始まるんじゃないかなと思います。

 

それが段々、なくてはならないもの、かけがえのないものになったり、

愛に変わったりするのだろうけど。

 

好きな人も一緒で

『この人素敵♪』

と思って、"好き"を選択して

自分の"好き"の枠に入れる。

 

 

人間って、きっと

生まれ育った家族とか

どんなに好きでも、自分には手が出せない金額のものとか

そういう自分で変えられないものは仕方ないけれど、

 

自分の"好き"なもの、

お気に入りなもので

自分の"世界"を作ろうとするんじゃないかなと思うんです。

 

だって、

服を買いに行って

わざわざ、自分の気に入らないデザインのものは買わない。

 

買った後に気に入らなくなったとしても

その時は、

『いいな♪』って思って

"好き"になったから買う。

 

予算は決まっていても

その範囲の中で自分の好きなものを買う。

 

なんでもそうで、

わざわざ気に入らない髪型にするために

美容院に行かないし、

嫌いな物を食べに行こうなんて思わない。

 

本も、スマホのカバーも、待ち受け画像も。

わざわざ自分の"嫌い"なものを選ぶ人なんて

いないんじゃないかなと思います。

 

誰かと付き合う時だって、

大っ嫌いな人と付き合ったりしない。

 

付き合っていく中で

色々な事がこじれてきたり、依存しあったり、情が出てきたり

 

好きではないけど、別れられない

別れるほどではない

今は我慢しなければいけない状態

 

なんてことはあるけれど、

 

最初は、

自分が選択した"好き"の気持ちからだと思う。

 

色々事情があって、

そうではない人もいるのかもしれないけれど

私はそうでした。

 

そうやって、自分の手の届く範囲は

自分の"好き"だらけになっていく。

それが自分の世界になって、

自分らしさや個性に繋がっていく。

 

そんな風に思います。

 

 

だから、自分の好きなものが嫌いになってしまうということは

その自分の世界が崩壊してしまうということ。

 

それで、怖いんだろうなと思うんです。

 

 

自分の好きなファッションや、ヘアスタイルが

時間と共に変わっていくのは当たり前だけど

 

今はしないけど、

昔は好きだった髪型や服のことを

"嫌い"にはならないですよね。

 

昔の写真を見て、

 

『あー、

この頃はこんな髪型好きだった!

懐かしいな♪

こんな服が流行っていたなあ、

今見ると恥ずかしいな。』

 

とは思っても

 

『昔のこの髪型大っ嫌い!!

この服大っ嫌い!ビリビリに破ってやりたい!』

 

なんてなかなか思わないと思うんです。

その服を着てた時に、すごく嫌な思い出があったからとかは別にして。

 

それに、昔の自分の"好き"なものが

変化して、発展して、

今の自分の"好き"なものになったわけだから

昔の自分の"好き"なものがないと

今の自分の"好き"なものはないと思う。

 

自分の"好き"で自分の世界を作り、

その中に私がいる。

 

だから、自分の"好き"を"嫌い"になってしまうと

それを選択し続けてきた自分を否定することになってしまう。

 

こんなのが好きだった私、

みっともない

かっこ悪い

趣味悪〜い

ダサ〜い

 

って思われたくない。

 

 

でも、誰に?

誰に思われたくないんだろう?

自分に?

 

ていうか一体どんな基準でダサいの?

趣味悪いの?

 

 

要は、私

自分の"好き"の選択に自信がないんだと思います。

 

 

例えば私は、女の子らしくて可愛らしいファッションが好き。

 

色もピンクはもちろん、パステルカラーが好き。

 

だけどある時、

友達とファッションブランドの話をしていて。

 

その子は、ギャル系のファッションや、派手なものが好きで

私とは好きなファッションの系統が違いました。

 

ただ、それだけなんですけどね。

 

私の好きなファッションブランドを言ったとき、

その子の反応が

『何それ、知らな〜〜い!』

ちょっと馬鹿にしたように笑われたんです。

というか、私にはそんな風に感じた。

 

無名なブランドではないし、

今でも雑誌にもよく載っています。

ただ、その子は系統が違って、全然興味がないから知らなかった。

ただそれだけだったと思う。

 

でも、私その時すごく恥ずかしくなっちゃったんです。

 

私ダサいかなー、

趣味悪いのかなー

 

自分の"好き"にすぐに自信をなくしてしまいました。

 

そうなると、

本当の自分の"好き"の気持ちを無視して、

ギャル系の服を買ってみたり、

"好き"でないものを選んでみたりする。

 

 

それに、

私は"普通"であることに

すごく執着がありました。

 

執着があるからなのか?

なかなか私の思う"普通"には辿り着けないんですけどね。

 

いつも、"一般的"普通"とはかけ離れた世界から

必死に"普通"を追いかけてます。笑

 

それは置いといて、

例えば

雑誌で20代のアフター5の使い方なんかが特集組まれてて

『料理教室に通って、自分磨き』

なんてのを見ると

料理大して好きじゃないのに

料理教室通ってみたり。

 

『普通みんな好きっしょ?!めっちゃ楽しいじゃん!』

なんていう”普通”や”みんな”の言葉に弱く、

私は、あのノリがどうにも好きになれないのに

好きなふりしてクラブに行く。

疲れて、寝たいのに

朝まで付き合ってしまう。

 

そして、

『自分の親が好き』

これも当たり前で、普通なことですよね。一般的に。

 

 ”毒親”や”アダルトチルドレン”なんて言葉が出てきたのは

最近で、今も一般的に浸透しているわけではない。

 

親と聞いて、思いつく言葉って

毒親”よりも”親孝行”

 

それが普通で、一般的。

 

だから、大人になって

アダルトチルドレンのことを知るまでは

私も親が好きって思い込もうとしていました。

 

周りのみんなと一緒でいたかったし、

家族が、家が、親が辛いなんて私だけ

私が変なんだと思ってた。

 

 

こんな風に

自分の"好き"さえも

自分の本心よりも、

"普通"であるかどうかや

"他人目線"を気にしてきたんです。

 

でも、いくらそれを気にして

自分の"好き"を”普通”に変えようとしても

それは本当の私の"好き"ではないので

ブレッブレ。

 

しょっちゅう変わる。

他人の意見や考えに

コロコロと自分を合わせる。

 

だけど私も

20代半ばになって、やっと

一周回って、やっぱり自分の"好き"なものを集めてます。

 

何言われようが、女の子らしいファッションが好き。

髪色も髪型も私好みがある。

インテリアも。

食べ物も。

本も。

考え方も。

 

全部、私の"好き"で私の世界を作り直してます。

 

 

でもね、その"好き"にやっぱり自信が無いから

 

ダサいとか趣味悪いとか言われたら

心折れちゃう。(普通言われませんが笑)

 

一般的な意見も気になってしまう。

 

 

 

だから、私の"好き"が"嫌い"になって、

私の"好き"の選択を否定してしまうのが

怖いというか、嫌なんです。

 

自信が無いからこそ意地になってる。

 

”私の世界を絶対に壊さないぞー!”って。

 

自信のある"好き"だったら、

他人の意見ぐらいじゃ、

自分の世界は崩壊しないと思います。

 

私、アイドルやアーティストに夢中になって追っかけられる人ってずっと羨ましかったです。

 

誰の意見でも、入れ知恵でもなく、

自分で見つけた、心から"好き"なものに

心から没頭する。

 

とっても素敵。

羨ましい。

 

そんな私は、ある子と仲良くなりたいがために

その子の好きなアーティストを好きなフリをして

ファンクラブまで入ったことがあります。笑

 

結局、そのアーティストを私も好きになりましたが

入り方が違うよね。

 

そして、

自分が心からの"好き"に自信を持って

世界を作っている人は

その"好き"が"嫌い"に変わったって

自分自身が心から納得していると思うので

自分の世界は崩壊しないと思う。

 

自分の世界から

1つ"好き"が減っただけの話。

 

 

そんな風になりたいな~。

 

 

 

そして、

好きな人に対しての

 

私の気持ちが冷めちゃったらどうしよう〜(´;Д;`)

 

という不安も同じようなもので。

 

 

例えば、

A子のタイプは、おっとりした優しいインドア派な人だとして。

 

だけど、私は

男らしくて、俺についてこい系がタイプです。

 

"他人の目線"や"普通"にとらわれて、

自分の気持ちがブレッブレの私ですが

 

好きな人に関しては

話が違う。

 

いくらA子がそうでも

私は私。

 

私は私が好きになった人にしか

ときめかない。

他人は関係ない。

 

だから、自分の本心の"好き"な気持ちでぶつかっていきます。

 

それがめでたく結ばれたなら

めっちゃ幸せです。

 

だから、幸せの中にただ浸っていればいいのに。

楽しんでればいいのに。

 

私の彼に対する気持ちが冷めてしまったら、

今までの幸せが全部なかったことになりそうで。

 

彼を"好き"になったところからの

私の全ての気持ちが間違いだったと思ってしまいそうで。

 

 

だから、怖いんだなーと。

 

なんとも独りよがりな考えだと思います。

恋愛も夫婦生活も1人じゃできないのにね。

彼の気持ち無視じゃん。

 

いくら"嫌い"になったって、

過去の思い出や、トキメキは消えない。

 

彼と付き合って、辛い思いをしたとしても

"好き"だったときの気持ちや、思い出は

なんも悪くない。

関係ない。

 

"気持ち"は強制も固定もできないのだから

最終的にどうなるかとか将来的にどうなってるのかとか

そんなの分かるわけがない。

 

分かるのは、"今"の自分の気持ちだけ。

そこに自信を持たなければ

何も始まりも終わりもしないんだろうなあと。

 

なんだかこんな自分がバカバカしくなってきたので

変な不安は捨てて、

"今"を存分に感じていこう。

 

私の"今"の気持ちだけが

私の真実。

 

他人も普通も常識も関係ない。

 

 そして、別に私の世界がブレブレでも

移り気でも構わない。

 

私は色んな意見を取り入れられる柔軟さがある。

 

ただそれだけ。

 

色々試して、私のお気に入りが見つかればいい。

そしてそのお気に入りが増えたらいいな。

 

 

 


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嫌いになってもいいんだよ

今日もなんだか眠くて眠くてしかたないです。

 

最近は、ちょっとした事件があったり

旦那が仕事を変えるかもだったり。

 

現実的な変化も少しづつ出てきました。

 

それが今後どうなっていくのかは分からないけれど、

 

色々と変わってきているなと感じます。

 

そして、もちろん

どのような変化にも、”不安”や”ドキドキ”や”怖い”という気持ちは付き物。

 

私、以前書いた

"楽しい"や、"嬉しい"等のポジティブな気持ちに対する不安恐怖はなくなってきたなと思います。

 

”楽しい”や”嬉しい”の後に起こるかもしれない嫌な出来事を

考えて、勝手に不安になって、

その時の”楽しい”や”嬉しい”の気持ちに集中できない!

心から楽しめない!というやつ。

 

前の記事↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

  

だけど、

【変化を心から楽しむ】という地点にはまだ来ていないみたい。

 

というより私の場合、

 

その変化によって、これからどうなってしまうのかが分からなくて"怖い"、

だから変化起こさないで〜

今のまま、何も変わらないで〜

 

と思っているわけではなくて、

 

"怖い"って気持ちになりたくない!

"不安"になりたくない!

 

 

怖い””辛い””不安”とかのネガティブな気持ち拒否してる。

 

暗い気持ちになるのは嫌!お断り!来ないで!って感じ。

 

だから、

 

今はまだ"怖い"や"不安"などと感じるような出来事は

何もない。何も起こってない。

 

だけど、

勝手に未来を予測して

 

これから"怖い"って思っちゃうかな?!

"不安"って思っちゃうかな?!

 

と不安になって、怖がってる。

 

ややこしい笑

 

実際に起こる出来事よりも

やってくるかもしれない

ネガティヴな感情が怖いんです。

 

前も書きましたが、

私は本当に年がら年中色んなことが起きるので。

ある意味慣れっこです。

 

だから、もう実際にどんなことでも

起こってしまえばどうってことないんです。

 

やってやろうじゃん?o(`ω´ )o

と戦闘態勢(笑)に

すぐ入れる。

 

 

来るなら何でも来なさい!

でも、私はもう色々経験済みよ!

ある程度のことは、怖いもの無しよ!

 

って感じ。

 

そして、

 

さあさあ今回はどうしましょうかね〜♪

面白くなってきたぞ〜!

 

と、ドキドキする気持ちも含め

なんだかんだ楽しんでます。毎回。どんなことでも。

 

もちろん辛いときは辛いし

嫌なものは嫌。

抜け出したくてもがくけれど、

真っ最中の方が楽なんです。

 

戦い中だから?アドレナリン放出?笑

 

だから

 

実際の変化が起きる前の

 

ネガティヴな気持ちになっちゃうの嫌~!!怖い~(ノД`)・゜・。

 

っていう不安さえ克服できれば

本当にどんなときも

楽しむことができるんじゃないかなあと思います。

 

ネガティブな気持ちも受け入れる。

怖がらない。

なんでもウェルカム♪になれれば。

 

うちの愛犬たちのように。

 

喜怒哀楽をどんなときも

振り切れんばかりに表現して。

楽しいときは目一杯楽しんで

怒るときは目一杯怒って。

 

お腹丸出しで爆睡して

来るもの拒まず。

先を読んだりしない。できない。

いつもその時やってきたことを

全力でするだけ。

 

 

そんな風に生きたいなあ。

 

不安”や”怖さ”、”辛さ”を拒否し続けたら、

なんの変化も来ない。

なんも変わらない。

 

こんなことを考えていたら、

 

"嫌いになるのが怖い"

 

っていうのも

これと一緒かなと

ふと思いました。

 

 

嫌いになるのが怖い。

 

私、子供の頃

ポムポムプリンが大好きでした。

サンリオのキャラクター。

 

ある時、ポムポムプリンのグミを買ってもらったんです。

ポムポムプリンがパッケージのプリン味のグミ。

 

でもね、食べてみたら美味しくなくて。

私の好きな味じゃなかったんです。

 

だから一口だけ食べて、

急いで、残りの全てを妹にあげました。

 

私の大好きなポムポムプリンが

ポムポムプリンのパッケージのグミが

美味しくなかったことが

ショックで。

 

キャラクターとグミの味なんて関係ないんですが。(笑)

 

ポムポムプリン=不味い

になって、

ポムポムプリンのことを嫌いになるのが嫌で、怖かったから。

 

当時の私には一大事。

自分の好きなものが嫌いになるかもって

すごく怖かった。

 

 

それがね、

大人になってもあるなあと。

 

例えば、誰かと付き合っていて

その恋人のことを

私が嫌いになってしまうかもしれないことが怖い。

 

私が、嫌われてフラれるならまだいいんです。

もちろん悲しいけれど。

 

彼に対する私の気持ちが

いつか冷めてしまうかもしれないことがとても怖かった。不安だった。

 

実際には、今までお付き合いしてきた人と

私の気持ちが冷めてしまったからという理由で

お別れしたことはありません。

 

遠い思い出の彼にも

どこかで幸せになっていたらいいなあ

と思えるし、

 

旦那の前に付き合っていた彼にも

ありがとう

ごめんね

という気持ちはありますが

 

今だって、全く"嫌い"にはなってません。

 

だけど、

 

私の気持ちが冷めちゃったらどうしよう

 

という不安が付き合っている最中ずっとありました。

 

普通、逆ですよね。多分。

 

彼の気持ちが離れていったらどうしよう

 

なんじゃないのかな。

 

なんでだろうと考えたことはなかったのだけど

ちょっと考えてみました。

 

今だって、

旦那のことはもちろん好きです。

でも、嫌いなところもあります。

 

私に対してもそうだと思う。

 

旦那に対しては

 

私の気持ちが冷めたらどうしよう

 

という不安は、結婚したからなのか

なくなりました。

 

 

だけど、どこかで 

 

旦那のことを、心から”嫌い”にならないように

 

セーブをかけてる気がする。

 

心に壁を一枚隔てた上で

見て、聞いて、感じてる。

 

そんな気がします。

 

例えばもし、

旦那が不倫をしたとか、何か私への裏切り行為をしたとして。

 

私は、怒ったり泣いたりするのだろうけど、

それって本心かな?

私、心の底から本当に悲しめる?ムカつける?

 

多分、行動派の私は

旦那の対応や、態度を見て、気持ちを聞いて、

 

許すべきと思えばすぐに許すだろうし、

 

これは修復不可能と思えば

さっさと離婚準備を始めると思う。

 

 

でも、それは

私の中の知識としてインプットされている

 【旦那に裏切られた時にすべき行動】

行なうだけ

パフォーマンスしてるだけ

なんじゃないかなあって。

 

ロボットと一緒で

このボタン押したら右手挙げます

みたいな。

 

感情も言葉も

【旦那に裏切られた時はこのような言葉を言うべき。怒るべき。泣くべき。】

とインプットされたロボット。 

そういう演技、演出をしてしまうのでは?と。

 

実際に旦那から裏切られたわけではありません。

 

でも、リアルに旦那に浮気されたことを

想像してみても

多分こうなんじゃないかなって思ってしまう。

 

もちろん、ムカつくし悲しいだろうけど

それって100%私の本心なんだろうかと。

 

実際なってみなきゃ分からないし

こんな事態起こらないのが一番です。

起こってほしくありません。

 

だけど、こうやって

どこか心の壁を一枚隔てているんじゃないかなあって思う。

 

それって、

ここでも

壁を隔てることで、心を自己防衛して

傷付かないように、

壊れないように、

何があっても大丈夫なように

 

心を丸裸にしないで、

守ってるんだと思う。

 

どこか他人目線でいることができれば

心が壊れてしまうまで傷付くこともないから。

 

旦那を失うことよりも

”心が壊れてしまうこと”の方が怖い。

 

そしてやっぱり

私は"嫌い"になることが怖いんだと思う。

 

自分の”大好き””大嫌い”に変わってしまうのが怖いんです。

ポムポムプリンと一緒。

 

相手にどんなに嫌われても

自分が好きでいることは自由ですよね。

 

離れることになってしまっても、

"好き"の気持ちまでは手放さなくてもいい。

 

(ストーカーとかはしませんよ笑)

 

だけど、自分が"嫌い"になってしまったら

もう二度と"好き"には戻れない気がして。

 

自分の"好き"はとてもとても大切なものだから、

手放すのがとっても怖いんです。

 

好きな物を捨てたくない。

守りたい。

 

だから、

こうやって一枚壁を隔てた中から

感情を感じることで

私の"好き"を守っているのかなと思いました。

 

だけど、今はいくら大好きでも

いつか”嫌い”になるかもしれない。

 

そんなの誰にも分からない。

強制も固定もできない。

 

 

自分の”好き”を大事にするのは当たり前で、とても大切なこと。

 

でも、それをずーっと好きでいなければいけないルールなんかないんですよね。

 

”好き”も”嫌い”も守るものではなくて

感じるものなのかもしれない。

 

いつか嫌いになってしまうのなら、それはそれで仕方ない。

もう諦めて、受け入れて、怖がらないで。

未来を勝手に予測しないで。

 

”今”の好きな気持ちを目いっぱい感じるしかない。

もし今後出てきてしまったのなら、”嫌い”っていう気持ちも拒否しない。

受け入れるしかない。

 

それが自分の本当の気持ちなのだから。

 

 ”今”の気持ちだけを丸裸で感じてさえいればそれでいい。

 

ていうかそうじゃないと、

心から人と繋がることなんかできない。

 

今の私の旦那との、いや私と繋がっている全ての人との付き合い方

って今のままじゃ失礼だ。

 

心からちゃんと向き合っていないんだもん。

 

 

そして、何度か書いていますが

ACの自分を癒やしていくワーク。

 

嫌な思い出を鮮明に思い出して、

その時の自分の本当の気持ちを知り

そこから今の自分の生きやすさに繋げていくというもの。

 

詳しくはこちら↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

 

このワークでも気になっていたことがありました。

 

浮かんでくる光景は、

 

多分私は、3~5歳頃。

父が、お気に入りのドラマが録画できていなかったとかで、

母にキレて、暴力をふるっているところ。

母は土下座して謝っているところ。

 

あ~思い出すと気持ち悪い。*1

 

そのとき、私は部屋のドアの影から

その光景をじーっと見てるんです。

唇噛んで、泣くの堪えて。

 

その時の私の気持ちを辿っていくと

『怖い』とか『辞めて』とか色々出てきます。もちろん。

 

でも、なんでじっと見てたんだろうなって。

怖いなら別な部屋に逃げて、

耳を塞いでたっていいじゃない。

泣いてもいいじゃない。

 

なんで泣くの堪えて我慢してるんだろうと。

 

だけど、辿っていって

最後に出てきた私の本当の気持ちは

 

【お父さんとお母さんを好きでいたいから】

でした。

 

今でもちょっと謎のままなんですが。

 

好きでいたいってことは嫌いになりたくないってこと。

 

当時の私は

逃げたり、泣いたりして

自分の感情を出してしまうことで

【こんなことをする私の親が嫌い】っていう自分の気持ちに気付くのが怖かったのかな。

 

 

黙って見ている、泣かないという行動を取ることで

 

こんなの大したことじゃない

泣くようなことでも、逃げるようなことでもない

私は余裕

何も変わらない

と思い込みたかったのかな。

 

 

もう 昔の私も、今の私も

【嫌い】って気持ちも受け入れよう。

 

嫌いになってもいいんだよ。

嫌いがなければ好きもないんだよ。きっと。

一度”嫌い”になってもまた”好き”に戻れるかもしれないし。

 

 一番のお気に入りが変わったっていい。

好きな物にも捕らわれる必要はないんだ。

全部自由。

 

感じることを怖がらないで。

 

むしろ、何よりも自分の気持ちに正直でいなきゃいけない。

ルールがあるとすれば、それだけ。

 

これに気付けたのは大きいかも。

 

 

 


引き寄せの法則ランキング

*1:+_+

言葉自体にそんなに意味はない

昨日と変わって今日は元気です。

 

寝汗をかいたので

朝シャワーを浴びて、身体も心もすっきりさっぱり。

 

やっぱり、休む時間も必要。

辛いときは充電時間。

 

ちゃんと休んだら、ちゃんと元気になれました^ - ^

 

昨日書いた、【羨ましい】の気持ちですが

今日なんとなく、昔働いていた会社のホームページを見ていたら

当時一緒に働いていた、私より1年先輩の方が

昇進して、管理職になっていて

ホームページで紹介されているのを

見つけました。

 

多分、昨日の私がこれを見たら

【羨ましい】の気持ちでいっぱいになって、

 

私はなんで辞めたんだろう

本当、根性無し

続けてれば私だって、きっと…

 

って自分を責めてしまっていたと思う。

 

だけど、

今日は心から

『よかった〜!!すごい!』

と思えました。

 

もうきっと、この先会うこともない方なんですが。

 

 

当時、かなりキツい職場で、皆んな口を開けば『辞めたい』と言ってました。

もちろんその子も。

 

実際、どんどん皆辞めていきました。

私もなんですが。笑

 

でも、その子は貫いて頑張ったんだなあって。

 

おめでとう!と思うことができました。

卑屈にならず、

私も私の世界で頑張ろうー!って。

 

ちゃんと心も回復できた証拠。

よかった♪

 

私、今まで

”過去に戻りたい、やり直したい”

ってしょっちゅう思っていました。

 

あそこからやり直したい!

タイムマシンがあれば!と。

 

やりなおしたい、戻りたいポイントもありすぎるんです(;^ω^)

 

だけど、最近

 もし、本当にタイムマシンがあって

過去に戻れるんだとしても、

別にこのままでいいや~

って思います。

 

タイムマシン欲しくなくなりました!笑

 

あそこで間違った

ここでこうしていたら、、、

なんて後悔ばかりしていたけれど、

 

どこかで違う道を選んでいたら

”今の私”はいない。

 

その方が嫌だなって。

 

今だって、悩みがないわけではないし

それなりに大変だし、

過去の経験が全て報われたわけでもありません。

 

どちらかといえば報われていないことばかり!( ;∀;)

 

もし、今過去に戻れたらもっと上手くやれるのにな~なんてことや、

 抹消したい過去もある。

 

 

だけど

旦那や、愛犬達に出会えて、ここに住んでいて、こんな気持ちになれる

"今"があるのなら

これでいいです。

むしろ、これがいい。

 

こんな"今"の世界に来るには

今までのぜーんぶの選択と経験が必要でした。

 

だから、過去に戻って少しでも違うことをしてしまうと

”今”の私にはなれないんですよね。

 

だから戻らなくていい。

 

昨日のような日があっても

”今”が幸せ、満足って気持ちは消えていませんでした。

 

よかったよかった。

 

私だってね、よく頑張ってきたよー!

今の私の世界に私を連れてきてくれてありがとう!!

 

ここまで来るともう、

”これから私がどんな風に変わっていけるのか”

が楽しみでワクワクする。

 

以前も書きましたが、

引き寄せの法則』と出会った頃の私は、

今が嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

そんな今を変えたくて。

不足しているものを

私が持っていない、欲しいものを

手に入れたくて

そんな気持ちから、『引き寄せの法則』の存在を知りました。

 

アダルトチルドレンもそう。

親との関係が辛くて苦しくて。

どうにかならないか、同じような悩みの人はいないだろうかと、ネットで検索しまくって

”AC(アダルトチルドレン)"という言葉を知りました。

 

知ってから、

勉強したり、体験したり、気づいたり。

気持ちも毎日上がったり下がったり。

そしてブログも始めてみたけれど。

 

今もまだ

手に入れられてないものはたくさんあるし、

そんなに現実変わってないし、

ACもまだ克服中です。

昨日のように辛くなる日もまだあります。

 

頻度は減ったけどね。

 

まだまだ楽になってる"途中"です。

 

だけど、

 

現在、まだ叶ってないとか持ってないとか、辛い日もあるとか

なんかもうどうでもいいです。笑

 

変わっていく過程が面白いのに

タイムマシンでいきなり叶った世界に行ったらつまんない。

って叶うかどうかも分かりませんがね笑

 

だからやっぱりタイムマシンはいりません。

 

そして、こんな風に思えるってことは

どこか半信半疑だった『引き寄せの法則』や『宇宙の理論』を心から信じることができてきたんだろうなあと思います。

 

信じられていなかったら、不安で不安で仕方ないはずだから。

 

だって、今は少しづつ心が楽になってきただけで、

現実的な変化は特にないし、

お金も無いし、

帰省は辛いままだし、

私一生こうなの?!(ノД`)・゜・。

なんて今までの私なら思っちゃう。

 

だけど、

人生は自分次第、本当は好きなように、楽~に楽しむことができるんだよ~

ってことが

私の中で真実になってきたので

【私なら絶対大丈夫】【私の未来は絶対望み通り】

という根拠の無い自信が出てきました。笑

 

だから、楽しい日も辛い日もたくさん味わって

"変化"を"今"を楽しんで

少しづつ私の望む現実を手に入れていきたいなあと思います。

 

長くなりましたが、

そんな今日ふと考えたのが、

 

【言葉って本当にそんなに意味があるのかな?】ってこと。

 

毎日100回”ありがとう”と言ってみようとか

言霊が~とか

気持ちの良い挨拶を!とか(学校のスローガンになってたり)

よく聞きます。

 

何度か書いてますが、

私は母が熱心な新興宗教家だったので

その宗教活動の中で

 

"言霊"について勉強したし、

 

良い言葉をかけ続けた食べ物は美味しくて

悪い言葉をかけ続けた食べ物は

良い言葉をかけ続けた食べ物と、同じ日数しか置いてなくても腐る

なんていう実験も見せられたし、

 

どんな時も、何されても、いかなる時も

"感謝"そして、

申し訳ないっていう"お詫びの心"を持ちなさいと教わってきました。

 

 

 確かにね、言葉にはパワーがあるとは思います。

 

だけど、私

強制される感謝とか挨拶って大っ嫌いです。

 

ちゃんとしなきゃいけない場面では

もちろんするけれど。

 

強制される感謝とか挨拶って

私が思うのはこんなことです。

 

私の祖父は、父以上にめんどくさいというか頑固というか変わった人でした。

昨年亡くなってしまいましたが。

 

私が幼稚園の頃、祖父母と私の家族と

中華屋さんにご飯を食べに行くことになったんです。

 

高級店とかではなくて、普通のよくある街の中華屋さん。

そのお店で、祖父母と待ち合わせしていました。

祖父母は私達より早く着いて

お座敷の席に座って待っていたんです。

少し遅れて私達が着いて、

私は、靴を脱いで席に座ろうとしました。

その瞬間、祖父が

 

『面白くない!帰る!』

 

と怒鳴って、店を出てしまったんです。

 

なんでって、

私が祖父に挨拶しなかったから。

 

靴を脱ぐ前に

店に着いた瞬間に

祖父母の目を見て

『おじいちゃん、おばあちゃん、こんばんは』

って言わなければいけなかったそうです。

当時、幼稚園児の私は。

 

アホかって。笑

 

その他にも、祖父や父の意味不明なルールってたくさんありました。

このタイミングで

『ありがとうございます』

ここで

『失礼します』

などなど

言わなければいけない、しなければいけない変なルールが。

 

ばっかみたいって思う。

 

別に私はその変なルールから

お行儀や礼儀を身に付けたわけでもない。

 

自分達の自尊心が満たされることのみを私に押し付けた変なルールです。

としか思えません。

 

そのルールが守られないと

顔を真っ赤にしてキレるけれど、

 

自分達以外に挨拶しなくても

感謝しなくても

なんも言われなかったし、

お店でのマナーとか、食事のマナーとか、先生とか友達のお母さんへのマナーなんかは何1つ教えられませんでした。

 

だから、周りを見て必死に覚えました。

友達の家に遊びに行ったら

『おじゃまします』や『おじゃましました』

靴を揃えることや、

オヤツを頂いたら

『頂きます』『ごちそうさまでした』

とか。

 

そういう人前での礼儀やマナーは大事であることや、

それによってお互いが気持ち良く過ごすことができること、

そして、それが常識であることは分かってますし、

身に付けてきたことは

これからもちゃんとそうしていきます。

 

だけどね、

 

例えば

誰かに何かしてもらって、嬉しくて

湧き出てくる

『ありがとう』

は本心だし、言った方も言われた方も気持ちが良いし、ほっこりする。

 

犬の散歩中に

『こんばんは』

って挨拶されると気持ちが良いし、なんか嬉しいし、

お互い笑顔になれる。

 

そういう心から湧き出た言葉って

確かにパワーがあると思うんです。

 

実際

なんか嫌なことがあって、落ち込んでても

『こんにちは』

ってただ挨拶されただけで

暗い気分から

ほっこりした、明るい気分に

なれる時がある。

そのひと時だけでも。

 

その『こんにちは』っていう

5文字の言葉で

実際に私の気分が変わることができているのだから

確かにパワーがあるのだと思う。

 

でも、私の強制されてきた

『こんばんは』や『ありがとうございます』は

言った後に

なんかイヤ〜なドロドロした気持ちになった。

 

同じ言葉なのに

正反対のパワー発動です。

 

私は亡くなっても、祖父のことを心から好きになることはできませんでした。

そして、それってその変なルールがあったからといっても過言ではないかも

と思います。

 

ルールのせいでね、

私の好きな時に好きなように

”喜び”や”感謝”や”祖父母に会えて嬉しい”という気持ちを

表現することができなかった。

 

 

言葉なんて、日本語なんて分解すればただの五十音の組み合わせ。

その組み合わせ自体になんの意味もなく、

そこに乗せる気持ちに

パワーがあるのではと思う。

 

自分の気持ちを伝える手段として”言葉”がある。

 

なのに、

手段であるはずの”言葉”だけ強制されて、タイミングまで固定されてしまうと

パワーの源の”気持ち”が消えてしまうんじゃないかなあって。

 

 

 

例えばこんなことも。

 

うちでは私がご飯を作って

旦那がそれを食べます。毎日。

 

ある日、旦那は

ちょっと不満気な顔で暗い声で

『ごちそうさま』

と言った。

 

別な日は、

美味しそうにガツガツ食べて

『美味しかった〜!』

って笑顔で言った。

『ごちそうさま』は言わなかった。

 

 

どっちが嬉しいって、もちろん後者です。

その前に、いつでも美味しいものを作れという話ですが。笑

 

ルールやマナーとしては

『ごちそうさま』の挨拶が必要なのかもしれないけど、

作った側として嬉しいのは後者。

 

『美味しかった〜!』の言葉に

詰まってる気持ちを感じるし、

喜ばせてあげれて

私も嬉しくなる。

 

 

本来の言葉の使い方ってこうなんじゃないのかなって思うんです。

 

マナーや、礼儀、常識は身に付けておかないと

自分が大変です。

この世界を生きていく上で。

 

でも、自分が心を許せる家族や、友達、仲間との間くらい

建前無しでもよくない?と。

 

『おはよう!』

と元気に言えない朝は

誰にでもある。

 

そんなときは、

いくら礼儀正しく

『おはようございます』

と挨拶されるより、

 

そんな挨拶すっ飛ばして

『どうした?大丈夫?なんかあった?』

の方がほっとする。

 

挨拶含め、こうすべきという常識は

全部が全部正しいわけではないと思う。

 

素直に

自分の本音を紡ぎ出す言葉は

とってもパワーがあるもの。

 

ちゃんと相手にも響くもの。

 

だけど、思ってもいないのに

そうすべきだから、

ルールだから

と強制されて出てくる言葉は

 

なんの意味もない。

むしろ、良い言葉でも逆効果だと

私は思うんです。

 

 

言葉は人をどれだけでも救えるし

反対に凶器にもなる。

 

だから、気を付けて使うべきだとは思います。

 

だけど、

 

そんなに必要でしょうか?”挨拶”は。

 

湧き出てくる感謝の気持ちは

催促されなくても

自分自身が伝えたくて仕方なくなります。

 

それでいいんじゃないのかな。

 

もう少し、言葉だって

楽に自由に。

 自分らしく。

 

自分がほっとできるかどうかを

重視したっていいと思う。

 

 

 

だから、心からのありがとうを

まずは自分に。

 

 

 


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悲劇のヒロイン大いに結構!

今日はなんだか元気が出ず

身体の調子も悪いので、盛大にダラダラしております。

 

まだまだこんな日もあるようです。

 

そして、どんどんネガティブモードになっているけれど

どこか第三者目線になっている自分がいて。

 

ふーん、私はそんな風に思うんだ〜

そっかそっかー

ま、そんな日もあるよねー

 

みたいな。

 

暗〜い世界に

完全に飲み込まれてないあたりが

とっても成長してると思う。

 

だけど

なんだか辛い日です。

 

なので、今日は取り留めもなく

ただ思い付いたことを書いてみようと思います。

 

ここ数日色々あったから疲れてるのかな。

 

 

何もしてないと、

頭の中がぐるぐる回って

次から次へと色んな事を考えてるのがよく分かる。

 

思考ストップボタンがあればいいのにな〜って子供の頃からよく思っていましたが、今でも変わらずそう思います。

 

てことは、子供の頃から

自分の思考が自分を疲れさせて、傷付けて、苦しくなるんだってことは

何となく分かってたんでしょうね。

 

そういえば、子供の頃は

例えば眠くなる午後の授業中や、全校集会なんかで、ぼーっとしてくると

【私、今何してるんだろう】

っていう疑問がよく浮かんできました。

 

『そりゃあ、今は全校集会で、先生のお話中だよ』

 

って自分の中で答えが浮かんでくるのだけど

 

【それって本当?本当に今?今だよ? "今"何してるの?】

 

ってまたまた変な疑問が浮かんできて、

 

そうすると、

え?今?今は…

 

と段々意識が遠くなり、

先生の声が聞こえてるのだけど

全然知らない言葉を喋っているような

何を言ってるのか意味が分からなくなり、

 

自分だけが別の世界にいて、

本当は全校集会で先生の話を聞いている自分なんかいなくて

遠い世界で夢を見ているような

不思議な感覚になることがよくありました。

 

だから、どうということはないのだけど

なんだかそんな感覚を思い出しました。

今はそんな感覚、なくなったな〜

 

 

第三者目線で、

こんな日の自分を観察していると

 

ネガティブモードな時、

頻繁に湧き出てくるのが

【羨ましい】という気持ち。

 

特に親子関係について。

テレビで

例えば、車のCMで楽しそうで幸せそうな親子が出ていたら

それすらも羨ましいし、

今、子育て真っ最中の方々のブログを読んでいると

羨ましくて羨ましくて羨ましくて。

 

なら見なきゃいいんですけどね。笑

私、なんか子育てブログ読むの好きなんです。

 

自分が小学生の頃、遊びに行った友達の家のお母さんの優しそうな顔や、

お父さんと仲が良さそうだった中学の頃の先輩。

 

大人になっても、結婚しても

親と仲良しで

『昨日、ママと買い物行ってさ〜』

なんて話してた

一般職で働いてた時、同期だった子。

里帰り出産を嬉しそうに仕事を辞めていった

もう1人の同期の子。

 

次から次へと思い出しては

【羨ましい】

と思う。

 

だから、思考ストップボタンが欲しい。笑

 

私だってそうなりたかった

私だって、親と仲良しでいたかった

私だって、私だって、

親に甘えてみたかった

私だって実家帰るの楽しみでいたかった

いいないいないいなあ

 

って。

 

ACを克服してきてると思っても

まだまだそんな気持ちが出てきてしまうのです。

 

そんなことを考える暇もないくらい

忙しい人だっているのに。

暇だから、そんなことをウダウダ考えるんでしょう。

 

 

自分の中から、そんな声が聞こえてくるけれど。

 

確かに、辛いときや調子の悪いとき

思いっきりグダグダすることが許される生活を送っている私は

 

多分それだけでも幸せで

そんな生活を与えてくれる旦那に感謝しなきゃいけない。

 

 

だけど、

どうであろうが

辛いときは辛いんです。

 

だから、辛いときは無理せずに

悲劇のヒロインになりきりましょ笑

 

そういうときに欲しい言葉は、

 

もっとひどい子供時代だった人はいっぱいいる

 

とか

世界にはもっと辛い人がいっぱいいる

 

とかそういう正論ではない。

 

 

そりゃ、正論だからその通りなんだけども

現時点で私だって辛いもんは辛いんだから

辛くたっていい。

 

比べるものではないと思う。

 

無理して、

自分を励ます必要も無いんですよね。

 

前に書いた、

アダルトチルドレンの克服の為の

『自分を癒やすワーク』

 

嫌だった思い出を鮮明に思い出して

当時の自分の本当の気持ちを知り、

現在の生きやすさに繋げていくというもの。

 

詳しくはこちらに書いてます↓↓

 

 

hikiyose-piano.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

真っ先に出てきた私の本当の気持ちは、

 

『甘えたい』

 

でした。

 

私が思い出せる私の1番古い記憶は

 

私が父に抱っこしてほしくて

膝に登ろうとしているところ。

 

でも、機嫌の悪かった父に乱暴に降ろされ、母に何か怒鳴っているところ。

 

その記憶から辿っていくと

私のその時の本当の気持ちは、

 

『甘えたい』

 

そりゃそうでしょうねって話なんですが。笑

 

そして、そのことは

このワークをする前から分かってた。

 

甘えたくて

子供の頃のように甘えさせてくれる人に出会いたくて

彼氏は皆、歳上の人を選びました。

 

一回り以上離れた人とも付き合ったことがあるし、

旦那も歳上です。

 

皆それなりに甘えさせてくれて

幸せな時間を過ごさせてくれました。

 

だけど、そんな彼に対しても

 

あなたはいいよね

まともな親で。

私の気持ちなんか分かるわけない。

あなたはいいよね。

いいよね。

私の辛さなんか分からないでしょ。

馬鹿にしてるんでしょ。私のこと

って

 

【羨ましい】

の気持ちは消えませんでした。

 

甘えたいのだけど、

こんな私だからこそ馬鹿にされるのも嫌で、

強がりで

どうしたらいいのかさっぱり分からないのです。

自分でも。

 

 

普段は平気なんだけど、

幸せの感度も上がってきているし

実際、幸せだと思う。

 

だけど、

わ〜〜っと寂しさが湧いてくることが

まだあって

それがどうにも耐え難くて

辛いんです。

 

これもひたすら

自分の気持ちに寄り添えば

いつか楽になるんだろうか。

 

 

私の旦那の親族は、

びっくりするほど、親族皆が仲良しで

しょっちゅう皆で集まって

楽しくしています。

旦那もみんなから

たくさんたくさん可愛がられて育ったそうです。

 

 

3年前に亡くなってしまったけれど

特におばあちゃんに。

 

異常な可愛がり方だったねーと

皆で思い出してはよく笑っています。

 

学校の先生から何を言われようが

『そりゃー、先生がおかしいね!

○○君はこんなにいい子なのに。』

どんな時も旦那の味方であり続けたそう。

 

そんな旦那の実家や、親族の集まりは

居心地が良い。

私にも皆とっても良くしてくれる。

自分の実家とは比べ物にならないくらい。

 

 

普段は。

 

でも、こんなときは

余計に辛くなる。

 

なんで?

なんで私はそうじゃないの?

って。

 

 

 

今よりもっと若い頃、結構やんちゃしてた旦那は

今はみんなに恩返ししたいと

親孝行したいと思ってます。

 

普段は、私も恩返しを手伝ってあげたいと思うし、

そんな話をされても笑顔でいられる。

 

 

でも、こんなときは

ただただ羨ましくて。

 

私だって

親に家族に感謝してみたかったよ

あんたはいいよね

 

って

なんか意地悪したくなる。

 

しないけどね。笑

 

なんで私はこうなの?

 

犬を育ててたって

可愛くて可愛くて

あんた(私の親)が私にしたことなんて

絶対できないよ。

どんなにイライラしてても。

 

どんなにイライラしてても

越えられない一線って人にはあるんだよ。

なんで、それが私の親にはなかったの?

 

どうして?なんで?

こんな辛いの?

頑張って大人になったのに。

頑張ってきたのに

報われないんだよ。

なんで?

 

私だって

甘えたいよ。

もう嫌だよ。

疲れたよ。

 

なんで私は自分の実家に帰ると疲れるの。

 

私だって、ぎゅーってされてみたかったよ。

 

私だって泣いたとき慰められたかったよ。

 

私だって『大好き』って言われてみたかったよ。

 

もういい。

 

もういい。

 

全部全部投げ出してみようか。

ひたすら甘やかしてみようか。

お金も将来も全部忘れて。

笑うのもやめてみようか。

 

だけど、自分でいくら自分を甘やかしたって

私は、人に甘えたいんだ。

子供のように。

 

まだ、心が大人になれてないんだよ。

 

 

 

 

なんだか書いていたら楽になってきました。

 

きっと明日目が覚めたら

私は多分いつも通り。

 

私の育った環境じゃなければ

得られなかったことだってたくさんある。

それは事実。

 

だけど、

辛いときは辛いのが最大の事実です。

 

自分で自分を抱きしめたって

甘えたい気持ちは収まらないけど。

 

今日はとことん旦那に甘えてみようかな。

ワインを飲んで、アイスを食べて

1番好きな入浴剤でお風呂に入ろう。

 

もう頑張るのはやめてみよう。

 

辛くなるのは、

私は本当に楽に生きたいですか?

ていう試され期間なのかもしれない。

 

お金も将来もどうでもよくなって

ひたすら

自分の気持ちだけに素直になれたとき

本当の意味で楽になっているのかも。

 

私は楽に生きたいです。

もっともっと。

 

 


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